2026年10月04日(日曜日)
10.04. 驚異の10月スタート。LABO四日市店、LABO四日市南店
8月から9月にかけて、
37日とか39日連続とかの新記録の長雨が続いた後の10月は、
さすがに、凄まじいものです。
具体的には、何もまだ言えませんが、
ビックリするほどのスタートダッシュを日本国中のLABOが見せています。
きっとLABOだけではなく
日本国中のKeePer PRO SHOPでも
同じようにお客様が大量に押し寄せているでしょう。
記録破りの長雨の後なのですから、
当然と言えば当然ですが、
記録的な大量のご来店です。ホントにすごいものです。
今日は、
ずっと雨が降り続いた9月、三重で唯一予算を達成したLABO四日市店と、
逆に、
9月より前の一年間予算達成を続けたのに、
雨が降り続いた9月だけ、
息尽きたように予算を割ったLABO四日市”南”店に行きました。
この二店とも、
もう、キャパシティをオーバーしているので、
何とかして増築し、キャパシティアップを図る工事を予定しています。
まずKeePer LABO四日市店。
わたなべ君、四日市店のスターにしおチーフ
ふくしま君、四日市店の太陽 むかいさん、サンディプ君。
たかむら君、おかもと店長。
つぎに、約5.8km離れているKeePer LABO四日市”南”店。
四日市南店の花 しもうらさん、ほそい店長、
スチト君、あらた君
うえのチーフ。
受注中のやまぐち君。
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2026年10月04日(日曜日)
10.04. 権限が大きくなると、偉くになると同時に、自分に甘くなる人。
組織を作れば、当然、何らかの責任体制が出来て指示系統が出来る。
すると、組織上の上位の役割を充てられた者は、
指示系統の上位になったので、
自分が下位の者に対して命令をすることになり、
上位の者は、自分が偉くなったような気になって、
下位の者に対し、
自分に服従する事を、自然に、求めるようになる。
そして、自分に盲目的服従をする者が現れると、それを異様に可愛がる。
服従する者と、それを異様に可愛がる者の関係は
まるで教育ママと幼い子のようであり、傍から見ているとむしろ滑稽である。
昔、福沢諭吉が
学問のすすめ、で、
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。」と言った。
これは、
生まれながらにして階級が決められてしまう江戸時代の「士農工商」の制度や
インドの「カースト制」のようなものを否定しているのであり、
人は生まれながらにして上下の差があるものでは無く、
人はまず、平等であり、
勉学することによって、
その人が持ってている能力が引き出されて
いくらでも上の階層に行く事が出来るという能力主義ではあるが、
今、残骸として残っている学歴主義の基になっているようだ。
福沢諭吉
余談であるが、
韓国での学歴主義はすさまじいそうだ。
昔、韓国の小さな企業に商談で行った時、
応接間に「ソウル大学卒業」の卒業証書が額に入れられて掲げてあった事を、
「何であんなものが飾ってあるのだろう」と、不思議に思ったことがある。
その会社の社長がソウル大学(日本での東大)卒業であることが、
その会社の価値の何十パーセントを持っているという事なのでしょう。
日本の会社に行って、
その会社の応接間に
「東京大学卒業証書」が額に入れて飾ったあったら、
「この会社大したことない」と、逆に思われてしまうでしょう。
文化の違いなのかもしれません。
生まれながらの階層は、
勉学によっていくらでも逆転出来る。
学んで、学力をつけることで、あるいは学歴を持つことによって、
社会における新たな高みの階層に入れる。
福沢諭吉の「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。」は、
人の本質としての上下関係を否定するようなアナーキーなものでは無く、
生まれながらの人の上下の関係、
すなわち「士農工商」「カースト」を否定しているのであって、
「人そのものの上下は勉学と努力によって自らの力で造り上げる事が出来る。」
封建的な時代には、生まれながらの運命的身分が、
その人の一生を決めてしまっていたが、
新しい明治の時代には、
人は勉学に励み、努力次第で上の層に上がれるとした教えのようです。
つまり、
「生まれながらの階層」は否定しているが
「階層」そのものを否定している訳ではなく、
現代にも通じる階層の在り方で
新たに「学歴という新しい階層」を提唱しているもののように思えます。
さらに現代は、
みんなの一人一人が主人公であり、
一人一人が、きっちり一人分の権利と主張を持ち、
また、世の中がそれを出せるようになった。
だから、
役職が上になっただけで、
自分の言葉が部下に対して強制力を持ったような気になっても
中々そうは行かない。
役職が上になっただけでは、
誰も自分の言う事に服従などしないのだ。
一人一人が主人公である現代では、それが許されるようになった。
だから、
昇格によって権力者になったような錯覚を持った者は、
部下に対して横暴な命令をしてしまうのだが、誰もそんな命令に従わないので、
頭にきて、言葉の暴力をふるったり、実際に手を上げたりすると、
パワーハラスメントで、たちまち吊るし上げられる。
逆に、
無条件の忠誠心を持ったような服従をしてくる部下がいれば、
上司はその者を特に可愛いと思い、特別扱いをする。
昔はこういう関係はよくあった。
お殿様のような上司と、露骨なまでに忠誠心丸出しの部下。
しかし、
最近では見なくなったそんな関係が、
滑稽にも、稀に、思い出したように見る事があります。が、
もちろん、何の役にも立ちません。
一方、
部下に対して理不尽な権力を振るう事が出来ないと分かると、
今度は逆に、
自分を叱る者がいない事を良い事に、
自分が楽(らく)をするという、
部下に対する横暴が出来ない事に対する”代償行為”をする者もいます。
サボっても誰からも叱られないと、
つい、サボってしまい、自分がするべき任務をほったらかしにしていると、
当然の結果のように職務に関わる成績はガタ落ちになり、
無能者の楽印が押されることになります。
こういう者は環境を変えると、見違えるように変わる事があります。
いずれにしても、
役職が上がったり、
自分の言動を抑圧していた存在が無くなったりすると、
自分に今まで以上の自由が与えられたかのように、
我が物顔に権力を振り回すようになるのは、どうしようもないのでしょうか。
必ずと言っていいほど、一時的に発熱したかのように暴走します。
しかし、それが収まると、
ちゃんとその役職に見合った存在になるのが普通なのは、上手くしたものです。
それは、
権限が大きくなると、
横暴になると同時に自分に甘くなるのは普通の現象だが、
それが、誰にも受け入れられない事を自然に学習して、
ちゃんとその役職に見合った存在になるのが普通なのです。
それが出来ない人は、いずれにしても、いつか去って行きます。
仕方がない事です。
そんなことを、日曜日の長い午前中に考えました。
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